スバル テクニカ インターナショナル 1/43 スバル レガシィRSタイプRA

スバル テクニカ インターナショナル 1/43  スバル レガシィRSタイプRA(1)

今回は、スバル テクニカ インターナショナル 1/43 スバル レガシィRSタイプRA を紹介。

 STI は自前で、これまで手がけてきた コンプリートカー の ミニチュアカー を、レジンモデル として送り出している。こういう 「こだわり」 は、私のような 「マニヤ」 ばかりでなく、コンプリートカー のオーナーにとっても嬉しいものだ。

 スバリスト に限らず、クルマ好き は、みんな 「自分のクルマは特別」 だと思いたい。だが、「 STIコンプリートカー 」 を手にするということは、「特別」 というより、もうまったく 「格別」 な エクスペリエンス だ。なぜなら、それは、スバル を愛する人たちが、さらに持てる情熱と技術とこだわりを注ぎ込んで、ライン生産では望むべくもない手間と時間をかけて、1台、1台、大切に送り出されるからである。

スバル テクニカ インターナショナル 1/43  スバル レガシィRSタイプRA(2)

BC5 レガシィRS を、発売から A型 なら 25年、最終型 D型 でも 20年 を経た現在もなお、愛し続け、乗り続けていることに、HP を開設して以来、本当に多くの方々から、暖かく、嬉しく、心強く、そして ありがたい 「声」 を頂いた。

 心から御礼申し上げたい。

 「生きてて良かったな。」 そういう 「声」 を頂いた時、私は心からそう思う。

 だが、私は BC5 レガシィRS を 「楽しんでいる」 に過ぎない。レガシィRS がなかったら、この多くの人々との出会いもなかったし、これほど楽しい人生を送ることはできなかったはずだ。

 だから、その 「声」 を、私は、BC5 レガシィRS を送り出した 富士重工業 の 人々 に贈りたい。それは、その人々にとって、何にも代え難い 「誇り」と「喜び」 そのものに違いない。

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レガシィRSタイプRA については、う 〜 ん、そうねぇ 〜 、もったいないので(笑)もう少し 「MY LEGACY RS」 のページを整理して、そこに書きたいと考えているのだが、ちょっとだげ 「ネタ」 を披露しよう。

 スバル の エンジン・トランスミッション を生産しているのは 大泉工場 で、そこから 矢島工場 に運ばれて、車両にアッセンブリーされる。

 RSタイプR のトランスミッション は、パーツリスト では、専用部品は設定されておらず、RS との 共通部品 ということになっている。だが、A型 では、このトランスミッションに強化ギヤが組み込まれていた。B型 は、RS と共通である。このことを知っている人は、強度の スバリスト でもあんまりいない。

 そして、この A型 RSタイプR の トランスミッション は A型 RSタイプRA と共通である。

 私が初めて TY75型トランスミッションを壊したとき ----- それは、A型 RSタイプR だったのだが ----- ディーラー で、「RSタイプR は RS とミッションが違うので、専用トランスミッション に載せ替える場合、RS用より高くなりますがどうしますか?」と言われた。

 当時、私はそれは知らなかった。RS と共通だろうと決め込んでいたのである。

 そりゃ安いに越したことはないが、どこがどう強化されているのか分からなければ、判断はできない。すると、翌日、三鷹製作所 STI事業部付 の FAX が届いた。

 「RSタイプR のトランスミッション は STI の息の掛かった 『スペシャルトランスミッション』なのか!」

 その時の FAX での STI の返答が、「教えてあげないよっ!チャン♪」的なものだったにも関わらず、WRC のフル参戦が始まり、スバルWRCチャレンジ が大切な局面に差し掛かった時期だっただけに、私はわざわざ2週間待ってでも、その 「スペシャルトランスミッション」 へ載せ替えすると即答したことは 「当然」 である。

 つまり、このトランスミッションの強化ギヤ ----- そう大したものではないと思うのだが ----- も、三鷹の STIファクトリー で作られて、大泉工場 でアッセンブリーされていた訳である。

 現在では、この 「強化ギヤ」 はもう手に入らない。そもそも 部品番号 もあるのかないのか曖昧な、微妙な存在だった。というのは、当時でも、補修部品としては、トランスミッションASSY でしか手に入らなかったからだ。そして、これだけ BC5 をバラしてきたのに、私は未だにこの 「強化ギヤ」 がどのようなものなのか知らない ----- 間が悪く、A型 RSタイプR のトランスミッション の オーバーホール に当たったことがこれまでなかったのだ。

 今、私の手許には、その A型 RSタイプR の トランスミッション がある。かつて、RSタイプRA用 のクロスミッションに載せ替えた RSタイプR から降ろされたもので、その際の作業には私もたまたま立ち会った、由緒正しき A型 RSタイプR のトランスミッション ----- ストックパーツ としてオーバーホールのために近々開けることにしている。

 楽しみである。

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こういう 「ネタ」 は、BC5レガシィRS に限らず、ひとつのメーカー、クルマに長く、深く付き合っていると、事欠かなくなる。

 例えば「センターコンソールの アームレスト が スライド式 じゃないから レガシィ はダメ」

 こういう 「上滑り」 の 「モノ」 の見方しかできないのなら、その人は スバル に乗ろうが、ポルシェ に乗ろうが、フェラーリ に乗ろうが一緒だ。

永久に クルマ の 「本質」 には絶対に辿り着けないと私は断言できる。

 ディーラーの小ぎれいなショールームの裏には、もう最近は忘れている人が多くて困るのだが、夏は暑く、冬は寒くて、オイルとガソリンとグリースの匂いのする、油焼けした床の サービス工場 があるのである。

 現在ほど電子制御化が進んでも、結局、クルマの本質は、おそらく 100年前 と 五十歩百歩 だ。メンテナンスフリーが進んだから、クルマはそういう 「手のかかる代物」 ではなくなってしまったように感じるかもしれないが、今でもオイルを定期的に交換しなければ、オイルは摩擦剪断性を失い、摺動部は直接接触して摩耗するし、経年とともにラバー/プラスチック類は劣化するし、ギヤのバックラッシュだって適正値から外れて振動や騒音は大きくなっていく。

 クルマのコンディションをキープするのは、ひとえにそのクルマのオーナーの 「心がけ」 次第なのだが、自分のクルマの基本的な整備はおろか、メンテナンスすらできないのに、定期点検をサボって、やがて不調をかこい、それをディーラー、あるいはメーカーのせいにする、こういう「ふざけた輩(やから)」 が本当に多くなった。

 こういう輩に、一体 クルマ の何を語れるというのだ。笑止千万である。ふざけるのも大概にしろと私は言いたい。

 人は自動車としての機能が他のクルマより優れているから、そのクルマを買うとは限らない。何万台売ろうがメーカーの 「実入り」 が全然ないクルマもある。3,000台 でもしっかり稼げるクルマもある。安いから売れるモノは、「永久に」 安くなければ売れない。

 だが、高くても買ってもらえる 「モノ」 を作ることは難しい。目新しさを メディア と 評論家 を使って徹底的に刷り込んでも 、「新発売」 からの 「風化」 も早い。「本質」として 語るべきものが何もないからだ。

 その点、スバル は しつこい。同じ 「モノ」 を何十年もかけてずっと磨き続けている。本質を見つめ続けることができるから、EyeSight のような 「革新」 を 「モノ」 にできる。だが、こっち と 向こう で 違う「モノ」 を 同じ名前で出すような 「二枚舌」 を使うことを潔しとはしない。

 グローバル経済の今日び、そういう、一見つまらない 「矜持」 を 富士重工業 が守り続けていることも、スバリスト という 「マイノリティ」 がしぶとく絶滅しない原因だろう。

 レガシィ2.0 GT DIT が発売された折の 「みんカラ」 のレビューで、「あと 30万 〜 40万 安くなければ購入対象にならない。」という人がいた。こういう人は スバル のお客にはならない。「安ければ買う」 というのなら、スバル の値引きは確実に他のメーカーより渋いし、そもそも本体価格だって少しばかりお高い。当然である。台数が捌けるメーカーではないのだから。

 ガイシャと比べてどうの、と言いたがる 「おセレブ」 な人も(笑)、まずお客にならない。おそらく フェラーリ か ポルシェ か BMW を買うのであろう。それで良いと思う。

 私には関係ない。

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さて、肝心のレガシィRSタイプRA について。

 このモデルはレジン製である。レジンは特別な生産設備がいらない代わりに大量生産には向かない。なぜかというと、レジンを型に流し込んでから、型から抜くまでに時間が掛かるからだ。「引け」もあるから、細かな意匠の部分は厚く抜かないと形が出ない。つまり 「歩留まり」 も悪いという訳だ。

 亜鉛ダイキャストの金型は、亜鉛合金を圧力をかけて型に流し込んで、一気に冷やして抜いても、金属だから 「引け」 も出にくく、大量生産に向いているが、その金型を作るのにお金が掛かるし、鋳圧製造の特別な設備がないと作れない。つまり、それなりに数を捌かなければ 「元手が取れない」 という訳である。

 だから、STI がレジンでミニチュアカーを作ったのは、STI自身が このクルマたち を 「形」 として残しておきたかったからだろう。確か売値は 10,000円そこそこ だったのではないかと記憶しているが、製造数と併せて考えれば、あんまり 「儲かる商売」 ではないことは確かだ。

 だが、スバリスト にとって、STI が作る 「レガシィRSタイプRA」 ほど特別な 「モノ」 はない。スバル が スバル であり続ける、STI が STI であり続けるための 「存在証明」 の、記念すべき 「第一歩」 だ。

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だからね、もう 「それだけ」 で充分なのである。初めて手にした時は、今も続くBC5 との 「腐れ縁」 で、楽しかったこと辛かったこと ----- スバル の WRCチャレンジ が続くようにひたすら祈りながら、食うや食わずで毎月 4 〜 5万、STIグッズやらパーツやらを 7年間 買い込み続けて・・・そうそう、そんなこんなでホントに金がなくなって、自分で整備をし始めて途方に暮れて・・・寒かったなぁ、お腹も空いてて・・・あの時は誰に助けてもらったっけ・・・ああ、解体屋で自分の頭の上にデフ落っこちてきたことあったなぁ・・・あれ痛かったなぁ・・・1993年、ラリー・オブ・ニュージーランド での優勝を知ったとき、人前でオイオイ泣いちゃったんだよなぁ・・・そういう BC5 にまつわるすべての記憶が、感情と涙とないまぜになって込み上げてきて、その余韻に浸りながら、何時間も、デスクの上に置いた この レガシィRSタイプRA を、ただ目を細めて見つめ続けていた。

 私にそういう感情を呼び起こすことができるのは、このモデルだけだ。

 結局、他のどんなクルマよりも、あまりにも多くの時間を、私はこの BC5 レガシィRS と過ごし過ぎた。ただそれだけのことだ。多くの失敗を繰り返す中から少しずつ学び続ける情熱と執念深さがあれば、その関係は、いつか心を許して語り合える 「邂逅」 へと変わる。

 なんとなく離れずらくなって、お互いに齢を重ねながら時を経るうちに、再び STI が BC5 を 「形」 として送り出してくれた。その時、私は BC5 という 「モノ」 を通して、実は作り手と心を通わせていたのだな、という生々しくズシリと重い 「実感」 を感じた。

 「 BC5 と一緒に生きてきたんだ 」 という 「実感」。本当に嬉しかった。

1983年 第31回 サファリラリー で、AB5 レオーネ4WDRX で、当時、日本人としては最高位の 5位 に入賞した、高岡祥郎/砂原茂雄 両氏が、その激闘を振り返った 「 4WD IN サファリ 」(昭和59年6月第1刷 講談社・スコラ)の中で、最後のタイムコントロールを通過した時のことを、高岡氏がこう書いている。


 「ホントに涙が出てしようがない。ホコリで目ヤニだらけになっている目から、後から後から涙が出てくる。泣けて泣けてしようがない。何でこんなに泣けるのか。もうどうにも涙を止めることができない。ウレシイから泣ける。苦しけりゃ涙なんか出てこない。ウレシイから泣けた。だから男なのだ。男はウレシイときにしか泣かないものだ。二人とも言葉にならなかった。ただひたすら涙だけがわれわれのサファリのすべてを物語る。」


 そう、苦しくて辛い、まさにそのときは泣かない。必死だから(笑)。こんなに輝かしいものではないが、自分なりのものを築きながら歩いてきた道程を振り返る時に、初めて自分を誇らしく、そして今ある 「幸せ」 と 「喜び」 を噛みしめるものなのである。

「4WD IN サファリ」高岡祥郎/砂原茂雄著

そういうクルマに、一度きりの人生で出会えたこと、そして、そのクルマへの 「想い」 を、作り手をはじめ、多くの方々と共有しているという 「事実」 は、本当に ありがたく、素晴らしく、そして嬉しいことである。

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もうちょっと、モデルについて触れておこう。

 BC5 レガシィRSタイプRA は、A、B型 では セラミックホワイト という、ソリッドのホワイトのボディカラー 1色 の設定だった。BC/BF型 レガシィ シリーズ がマイナーチェンジを行った 1991年5月 以降の C型 からは、やはり ソリッド の フェザーホワイト のみ。ある程度の 「需要」 が見込めるようになったのか、はたまた モデル末期の 「大盤振舞」か、1992年5月以降の 最終型 である D型 からは ブラックマイカ も選べるようになった。

 この セラミックホワイト の色合いが 「完璧」 だ。私が言うんだから間違いない。

 ルーフの手動伸縮式ラジオアンテナ、フロントドア の ステッカー、リヤガーニッシュ の 「 type RA 」 ラベル、ワイパーレス の リヤガラス など、RS との差異もきちんと抑えている。

 一方、トリムについては、センターコンソール 両脇の シートベルト バックル の 解除用プラスチックボタン が赤々と目に痛いほどで笑ってしまった。ちなみに、個人的に BC5 レガシィRSタイプR、および タイプRA は、手巻きウィンドウ でなければならないのだが(笑)、パワーウィンドウ仕様となっている。

 リヤマフラーASSY は、120Φの大径のものを装着。ホイールは純正形状だが、ノギスで測ったら、17インチに若干欠ける程度の径がある。もし、これが当時、STIスポーツパーツで用意されていたのなら、いくらお金を積んでも絶対に買うだろう(笑)。

 塗装の下地処理と仕上げも、一般的な 1/43 ミニチュアカー としては出色である。研ぎ出しの行程を入れているのかもしれない。面白いのが、おそらくほとんどの工程が手作業での仕上げのために、結構 「個体差」 があることで、台座のプレートにシリアルナンバーが打刻されているのと同様、同じものはない。

 そのことは、STI が送り出したことと併せて、この ミニチュアカー を 「特別なもの」 に、極めて魅力的なものにしている。

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ケースはこのように、豪華な化粧箱となっている。STI の刻印は、この逸品が他では造れない、「由緒正しきもの」 の 「証」 である。

 私は非常に偏執的な人間である。「広く薄く満遍なく」なんて考えたこともない(笑)。同じところを 40年 えんえん掘り続けてきた。それで 「幸せ」 なのである。そのことについて、他人からとやかく言われる筋合いはない。

 現行の BM/BR型レガシィ について、「日本を捨てた」 という表現を好んで使う 評論家 が 3人ほどいる。みぞおちに一発ずつ鉄拳を食らわせてやりたくなる衝動に駆られる。2005年、国内市場では ミニバン、コンパクトカー の台頭で、グローバルマーケット では 国内市場を重視したゆえのユーティリティ不足で、レガシィ は窮地に立たされていた。

 私がこの HP を始めた 「きっかけ」 は、スバリスト としてこの時に感じた 「恐怖」 だ。

 私の記憶では、国内における月販が 1000台 に届かない月もあったはずだ。この連中はそれを知っている。端から 「コキおろす」 ことが目的なのだ。そして「ユーザーのニーズに合わない商品は売れない」とも言う。ならば 「日本におけるベストサイズ」 を標榜する レヴォーグ は、ほぼ BP型レガシィ ツーリングワゴン の ディメンションである。 その BL/BP型レガシィ さえ買ってもらえないのだから、レガシィ が グローバルマーケット に目を向けることを非難する筋合いはないだろう。

 「木を見て森を見ず」、あるいは 「井の中のカワズ」 とはこのことだ。もっとも、そういう 「ふり」 をしているだけなのだから始末が悪い。

 どのみち スバル には、いくつもプラットフォームや車種展開を図れるほどのスケールメリットなど望むべくもないのだ。

 だが 富士重工業 は、そこまで窮地に立たされながら、例えば レガシィ の 「グランドツーリング」 というコンセプトを愚直に守り抜くだけの 「信念」 がある。だからひとつの技術を磨き込むこともできる。

 節操もなく、趣旨を変え、名を変え、手を変え、品を変え、形を変え、目新しさばかり追っているうちに、偏差値 50 を取ることが目標の、つまらんクルマしか作れないメーカーになっていく。

 今、レガシィ が、いよいよ日本から グローバルマーケット へ旅立とうとしている。

 私は、万感の想いと心からの感謝を込めて、レガシィ を送り出したいと思う。

 「今まで本当にありがとう。負けるなよ。」と。


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